「門」2014/07/26 16:51

 宗助・お米はラブラブ夫婦なのですが、実は宗助が友人の奥さんを奪っちゃったという略奪婚で、二人のつましい生活の中には後ろめたさの影が付き纏います。
 あるとき、思い悩んだ宗助はなにがしかの悟りを求めて禅寺の門をくぐります。
 この寺が、今年のGWに行った鎌倉の円覚寺をモデルにしているということで、学生時代に読んだ「門」をもう一遍読み直してみようか、と思ったわけです。
 しばらく禅寺に滞在したものの宗助にとって禅の修行も問答も気まずい苦痛でしかなくなんの意味も見いだせす、自分のダメダメ感が改めて浮き彫りにされてしまったようなものでした。
 彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。
 そんな感じの、どっちつかずな男のショボサを描く(??)作品なのですが、しかし私が印象的に思ったのは
お金がない
お話だという点でした。雅な王朝文学とも激しく剛毅な武家文化とも静謐な侘び寂びの境地とも全く次元が異なって、明治の文学はとっても現実的生活感あふれる「疲れ」の境地なんやなあ。
 日曜の夕刻になると「また明日から一週間働かなければならいのか」と思って憂鬱になるとこなんて、明治も現代と変わりませんね。
 巻末の解説文を読んでいても、「漱石さん、小説なんか書く気分じゃなかったのに原稿料のために渋々ペンをとっていたのだなあ」としか思えませんでした。

 愛おしい幸福を得る代わりに、不安と苦しみも背負わなければならない。