「顔のないヒトラーたち」2015/11/08 10:05

歴史認識、歴史修正、歴史、歴史……
「歴史」という単語がやたら胡散臭く耳につく戦後ななじゅうねん。
そうでなければ観に行かなかったかもしれない映画。
Im Labyrinth des Schweigens
沈黙の迷宮の中で。原題の良さをかき消す、昨今の邦題のセンスの無さ。
それはそうとして、映画は良作でした。ドイツ映画らしいというか、真面目で密度の濃い映画。たくさんの情報をエイヤっと詰め込んでいて、制作者の気遣い、意気込みを感じるし勉強にもなりますが、色々ありすぎてちょっと疲れてくるのが難点。
唯一、情緒を感じさせるのが、祈りをささげるために主人公たちがアウシュビッツを訪ねるシーン。静かな草原。彼らが裁判を起こさなければ、そのままずっと、ただの牧草地として人々の記憶の中から失われていたかもしれない場所。
たくさんの要素の中で、他に印象に残った点を挙げるならば。
今では世界の常識ってくらい有名なアウシュビッツも、戦後十数年の頃にはほとんどのドイツ人にとって「なにそれ?」てな単語だったというコト。調査を始めた主人公ですら、最初のうちは「施設で何か犯罪行為があったんだろう」くらいの認識で、徐々に、大量虐殺があったと分かってきて、顔色が変わっていく。
それから、膨大な資料。ドイツではなく、米軍が保管していた。記録の重要さを良く知る。それは米国の美点のひとつだと思います。……戦中戦後の日本の資料も、日本以上に抱えているのだろうなあ。
検察に逮捕される、元ナチス・アウシュビッツ関係者のみなさんが、いかにも「普通のおっちゃん」って感じだったこと。「顔のないヒトラー」じゃなくて、ひとりひとりにちゃんと顔と名前があって、それぞれの人生があったのになあ。
主人公の若い検事は架空の人物ですが、ジャーナリストと検事総長は実在の人をモデルにしているそうで、ドイツの戦後史を扱った映画と言えます。
ドイツ人自身の手で裁きを行ったことが、その後の国の方向性を決めたのかもしれません。
日本は、全部アメリカさんに預けちゃったけどね。

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