「アレクサンドリア」2011/03/10 13:59

 消費税を上げると貧乏人が苦しむから、代わりに宗教法人に課税しましょう。
 って言ってくれる政治家に一票を投じたいのだけど。

 スペイン映画ですが、台詞は英語。キリスト教の国では上映しにくいんじゃなかろうか。
 ヒロインが研究者にして教育者、そして舞台はキリスト教徒が支配を強めていく4世紀のアレクサンドリア。
 なので、最近読んだ「天使と悪魔」みたいに、科学と宗教の対立がテーマなのかと思ったのですが、そんな感じではなく、「信仰を押し付けられるなんて嫌よ」が主人公のスタンス。
 レイチェル・ワイズ演じるヒュパティア先生のそういうところは共感できるのですが、でも、どうも、登場人物たちに感情移入しにくかった。理解できないわけではないのですが。
 女教師にメロメロな学生が公衆の面前で公開告白する感覚(ラテン民族ってそういうもの?)にまず置いてけぼりにされそうになり、それをお断りするにしたって、もう少し別な手段はなかったのかと(インパクトはあったし、実際にそういう逸話が残されているのだから何かしら意味があるのでしょうが)思わずにいられない。
 研究一途なヒュパティア先生は確かに立派なのですが、実生活を営むための強かさには欠けるというか、ぶっちゃけ、「形だけでも洗礼を受けとけば」と思ってしまう。何か浮世離れしていて、世の中が大変なことになっている時に、地動説を考えるのに夢中で、「そんなこと、どっちでもいいでしょう」と言う周囲の声の方に私は賛同してしまう。
 そんな中で、奴隷のダオス君の心情はとても分かりやすかったのですが、しかし、ヒロインを見る彼の目付きは、終始変質者っぽくて(失礼)気持ち悪かった。どんなに憧れてもヒュパティア先生からは「気の利いた奴隷」としか見てもらえないやるせなさから、キリスト教に興味を持っていく。彼の視線を通して、キリスト教がアレクサンドリアの知識階級からは胡散臭がられ(街頭演説する姿は、正真正銘怪しい信仰宗教団体でした)、低層階級の人々から支持を集めていく様子が伝わってきます。
 自分達を迫害しようとする学者達に反発して図書館(講義や研究を行う、大学みたいなもの)に詰め寄るキリスト教徒たちの姿は、どうしても、先月のエジプト民衆デモを連想させます。一方、キリスト教徒がこんなにも勢力を増していたことに焦る学者達の心境は、現状を甘く見ていたムバラク政権に通じるものがあったでしょう。
 しかしここから先は、21世紀の民衆デモと4世紀のキリスト教徒たちとははっきりと異なります。
 世界最大の知の殿堂、アレクサンドリア図書館で展開されるキリスト教徒たちの暴挙。彫像は破壊され、書物は燃やされる。古代都市アレクサンドリアのセットは本当に気合が入っていて、それまで随所に威風堂々たるヘレニズム文化の映像を見せてくれただけに、その破壊活動の野蛮さは際立ちます。
 歴史スペクタルとしては、そのシーンが最も派手で、そこをクライマックスに持ってきたほうが盛り上がったでしょうが、物語はまだまだ続き、たくさんの血が流れ、新興のキリスト教によって旧文化が駆逐されていく様を伝えていきます。
 映像はステキだったのだけど、どうも無力感というか敗北感というか、そういうものが強くてすっきりしない映画でした。

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