河鍋暁斎の視線2019/05/11 23:59

駅からのびる傾斜。ずっと下っていくと、白い石造りの建築物の上に、派手なカエル。
海光る蔦緑色ミュージアム

暁斎の妖怪画は一度見てみたいと思っていたので、初の兵庫県立美術館。
作品の大半が淡い色彩で、墨絵か、それに薄く着色しているくらいの印象。だからかな、色鮮やかな江戸時代の浮世絵作品に比べて地味な感じがしてしまうのは。
でも、目がイイ。ただの黒丸が、ちゃんと「見ている」と思わせる。それは実体のあるもの(カラスの見る柿とか)でも、対象物がはっきりしない虚空(鯉の見上げる滝の上とか)でも。描かれているキャラクターたちに何らかの意志(つまりは、作者の意図)を感じてしまう。
と、思っていたら、「盲人百態図巻」では絵巻に続々と「見えない」人物が描かれている。見えないのにお裁縫して(!)、碁を打ったり(盤はあるのに石は無い)、お酌をするのに派手にこぼしていたり(やっぱり!)、骨董市で掛け軸を眺めていたり(え!?)。モノを観察して写し取る画業の人が、盲人の様子に着目するのだなあ。
見るっていうのは、目に映ることばかりでも、ないからね。
展示作品のほとんどが河鍋暁斎記念美術館(埼玉県)所蔵ですが、もっともゾクゾクきたのが生首咥えた幽霊(福岡市立博物館)で、明治三年、戊辰戦争の記憶もナマナマしく、「筆禍事件」でブタバコ入りした年の制作って思うと、幽霊の視線の先には何があるのか、何も見ていないのか、凄い不気味。
それから、水面に顔だけのぞかせた眠龍図(霊雲寺所蔵)。静かな絵なのに、迫力がある。龍はこれから再び水底に潜るのか、それとも飛び立つ時期をうかがっているのか、その眼が何を見つめて何を思うのか、気になる。
この2点、残念ながら絵葉書販売していなくて、代わりに、チケットにも描かれた「美女の袖を引く髑髏たち」と、「柳の木にとまるカラス」を購入。暁斎と親交のあったドイツ人医師が持ち返った作品の来日ってことで、今回の暁斎没後130年展の目玉。
カラスも髑髏も、とぼけたヒョウキンさがあるのに、全体を見ると、やっぱり、どこかが、凄みがある。役人風刺で目をつけられた「筆禍事件」の前までは、狂斎を名乗っていた。滑稽さと不気味さの相互作用がじわじわくる。

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