「海と毒薬」2010/07/25 11:52

 今日も暑いです。
 髪の毛切りたい。耳の下から顎先にかけてブツブツが発生して。
 でも早起きして、掃除洗濯お買い物。お昼ごはんのお蕎麦を用意して。

 
 暗い。もの凄くトーンの暗い話。
 昔読んだ時は、この人間の底の黒い所にドキドキしていたものですが、この年になって改めて読んでみると、なんだかその乾涸びた人間観が重苦しくて中々先を読み進めずにいました。
 戦争という社会背景があって、序章からしつこいくらいに人が人を殺す現実を描いています。砂漠のように乾いた世界に、人殺しはあなたのすぐ近くにいて、もしかしたらあなた自身かもしれないよ、と。
 そして、戦中の人体実験というエピソードへ。
 その残虐な罪の前で、人は、日本人は、何を思うのか。
 ある者は、己の出世のための手段として。
 ある者は、全く罪の意識を感じない己自身を恐ろしく思い。
 ある者は、嫉妬と憎しみの捌け口とする。
 一番わかりにくかったのが、序章から不気味な医者として登場していた、勝呂でした。彼は人が次々死んでいく世の中を辛いものだと感じていましたし、残酷な実験なんて耐えられずに結局途中で退いてしまうような人物でした。
 なのに、実験の前に、辞退する機会はいくらでもありながら、彼はそうしなかった。何故か、彼は実験に参加して出世しようともなんとも思っていなかったのに、実験の誘いを承諾してしまった。流されてしまった。
 彼は、実験に参加したかったのではなく、それを拒む気力を失っていたわけですね。その前フリとして、勝呂医師がどうしても死なせたくなかった患者、(それが遠藤周作の言うところの「神」なのです)おばはんの死に直面しています。
 日本人には、神はいないのでしょうか。罪の意識は無いのでしょうか。
 神などいない方が自由に生きられるでしょうし、きっと楽です。
 ただし、歯止めの無い自由は、決して人を幸せにはしないのですよね。

「女」2010/06/19 01:00

 以前、奥琵琶湖を観音様巡りのために訪れたことがあるのですが、藤の季節の、花と水と緑にあふれた美しさに、「桃源郷!?」と大変な感動を覚えたものです。
 ですから、小説の中で遠藤周作がかの地の美しさを大絶賛していることにはもう我が意を得たりって感じでした。
 しかし、そこへ嫁いで来たお市さんは、幸せな結婚生活の後、悲劇に見舞われることとなるのです・・・
 お市から茶々、千姫、それから大奥へ。女達の運命を軸にした歴史小説です。
 私は千姫がけっこう好きです。織田の血筋で(お市の孫ですから)、家康の孫で、茶々の姪で、秀頼の正室で、三代将軍家光の姉、という豪華な(?)立場ながら、失意でいっぱいの数奇な人生。本多家の嫡男と再婚するも、長男を亡くし夫も若くして病没し、秀頼の恨み・茶々の祟りという思いから逃れられない。それだけ、大阪城での戦いは彼女に癒えぬ傷を残したのでしょう。
 しかし、筆者は女達もわりとさらりと描いていますし、男達の姿もキリシタンにも触れていて、焦点にするべきテーマがばらついた感じです。「歴史小説を書ける私は幸福な人間である」と筆者が終曲に書いているように、テーマを追求するよりも、自身の歴史趣味を突っ走った作品だと思って良いのでしょう。
 戦国時代編では女は男達に翻弄され、男達を利用して戦おうとします。
 大奥編では、女の敵は女であり、男達は女達を利用して出世しようとし、しかし逆に女達によって失脚する。
 その栄枯盛衰には荒れ野のような無常観が漂います。
 そして、「女の戦い」から離れたところに、「女の幸せ」の形が提示されます。
 お市にとって生涯のうちで幸せだったのは、美しい清水谷で夫や子供達とのどかに過ごした数年間だけでした。それは、太閤の子を生んで一時は女の頂点を極めたはずの茶々にとっても同様なのでした。
 そして、将軍のお手付きになるのを拒んで八百屋の女房になった娘は、「大奥にいないで良かった」と心底思うのです。
 戦う女性は好きなんですが、しかし。
 力を持って栄えることと、幸せになることは、必ずしもイコールじゃないのです。

「反逆」2010/06/19 00:57

 戦国武将ブームって、まだ続いてるんですよね。

 戦国時代モノですが、湧き上がる野心とか高揚感とかは無いです。「下克上」の非情さ、男の嫉妬、面子を潰された男の憤り・・・・
 信長は徹底的に冷酷で、己以外誰一人として信じない。その非情で孤独な人間性は、実の母からも命を狙われたことが端を発すると、遠藤氏はちらりと記しています。
 信長はだれも信用せず利害関係の一点のみで人と相対しますが、彼の周りの人々も、彼に従うのは恐ろしいからであって、しかもチャンスがあれば魔王を潰してやりたいと思っています。

 小説の中で、大勢の登場人物達の「さまざまな苦しみ」が描かれます。
 たとえば、第2部の前半の主人公・明智光秀は、信長を恐れながらも、一方で心酔していて、褒められればめちゃめちゃ喜んで、秀吉が信長に重用されるようになると、嫉妬でグラグラして、まるで恋する乙女のようです。
 そして、自分が信長から捨てられてしまうかも、という不安に駆られたとき、 心の奥底にあった思いが持ち上がってきて・・・・
 人の心も世の動きも乱れに乱れた中で、宗教や茶道が、安らぎの場となります。
 冷たい「利」や不安定な「情」に疲れたとき、人は美しくてまっすぐな「理」を求めるのですね。

「深い河」2010/06/19 00:54

 私は無神論者ですが、遠藤周作の語る神様には、説得力を感じます。平易な文章で、真正面から心の隙間に潜む闇を表している、直球なところが分かり易いのです。
 微妙なトコロを、哲学は小難しく語り、文学は端的に示す。というのが私の持論ですが、遠藤周作は本当に的確だと思います。
 清濁併せた深い河は、本当は世界の至るところに流れている、というか、人の世そのものがそんな感じなのでしょうが、それを思いっきり具体的に表したインドの聖なる河。
 人は何故その河に惹かれ、集うのか。

「沈黙」2010/06/19 00:49

 キリシタン弾圧を背景に、「信仰」の在り方を問う。

 その昔、教科書に一部抜粋されていたのを読んで、それから他の遠藤作品も読んだりしたものです。
 しかしこの「沈黙」自体は、部分的に拾い読んだだけで、全体をキチンと読んではいませんでした。前半の書簡の「神様万歳」っぷりと高尚な精神になじめず、読みづらかったので。
 どんなに祈ろうと、信じようと、最後に決断を下すのは人間自身で、人間を救えるのも人間なんじゃないでしょうか。愚かな人でも立派な人でも。
 神様は、沈黙していていいのです。