「感じて。息づかいを。」2015/02/24 22:19

 日本ペンクラブ編、恋愛小説アンソロジー。2005年、光文社文庫。
 あんまりこういう本は読まないのですが、選者が川上弘美だったので。どんな「脱・ロマンチック」な恋愛小説集になるかと思ったら、予想以上にアレな感じの・・・・

桜の森の満開の下:坂口安吾
ご存じ、残酷幻想小説。人の首で「首遊び」をするのが趣味の美しい女と、それを妻にして言われるがまま首を刈り取ってくる盗賊が桜の散る下で消えていく狂気のお話ですが、これって恋愛小説?

武蔵丸:車谷長吉
いい年した夫婦が、ペットのカブトムシ「むさちゃん」へ惜しみない愛情を注ぐ。川端康成文学賞の爆笑小説ですが、これって恋愛小説?

花のお遍路:野坂昭如
「火垂るの墓」で知られる著者による、18禁系妹萌え小説。戦中戦後、体を売りまくって生計を立てた妹とそれに依存するしかなった兄、という結構ひどい状況での愛情ですが、これも恋愛小説っていうのかなあ。

とかげ:よしもとばなな
男が女に求婚し、お互いの過酷な過去を告白しあう。傷ついた者同士が寄り添う、ひっそりした感じ。三作目にしてようやく恋愛小説っぽいのキタ!

山桑:伊藤比呂美
 蛇姦。始末に負えない愛欲の果てに「来世で蛇と添い遂げたい」って、そんな恋愛小説あり?

少年と犬:H・エリスン 伊藤典夫 訳
第三次世界大戦後、少年たちは犬と会話し相棒にしている。殺伐した世界で銃撃戦シーンもあり、そして女に餓えている。でも精神的な部分は、犬>>>>女。動物・愛!三作目。

可哀想:川上弘美
冒頭で「DV小説か」と思ったら、SM系でした。痛くて、可哀想で、でもまったく不満がなくてむしろそこに愛情を感じている、恋愛小説。

悲しいだけ:藤枝静男
著者があちこちを訪ねて回る情景描写と、亡き妻への追想がごたまぜ。妻が死んでしまった後に生じる悲しみ。それを人は、恋愛と呼ぶのだろうか。

「七夜物語」2013/08/04 23:15

 上下二冊に分かれていて、でも思ったより短いお話でした。
 ていうか、川上弘美が小学生を主人公にした児童文学チックなファンタジー冒険小説を書くなんて!しかも、新聞小説で。・・・・そういや、宮部みゆきも、以前そんな異世界冒険譚を新聞に連載してたなあ。女性作家が、一度はとおる道なのかなあ。
 正直、いつもの川上弘美作品と違って、ちょっと説教臭い感じがしました。そうやって、作品テーマを分かりやすく描いているんですが。
 珍しく三人称小説ですが、その語りの中に、いつもの「川上節」を感じることはできます。
 現在よりも少し昔な時代で、空想好きな小学生のヒロインは、作者の子供時代ってこんなんやったのかなあ、とも、思えました。
 図書館で不思議な本を手に取ったさよと仄田君が、「夜の世界」で七つの夜を経験し、成長していく。「生きる」物語。

「神様2011」2013/06/25 00:28

 川上弘美のデビュー作「神様」は、となりに越してきたくま(名前はまだない)と一緒にハイキングに行く、とってもホノボノしたいいお話で、大好きなんですが。
 このお話を、筋書きはそっくりそのまま、しかし舞台背景を「原発事故後」という設定にして焼き直したのが「神様2011」。
 かの震災では、文学の世界では詩人の方々がいち早く、日常生活の大転換を反映させた作品を出していきましたが、散文を描く文芸人では、この作品が最も早い「震災モノ」だったのではないでしょうか。
 愛らしく気遣い屋さんなくまさんとのピクニックが、「神様2011」というダッサイ題名の元に、無残なまでに台無しにされてしまっています。
 あとがきを読んで、なんか、作者による自虐作品なのかなって思いました。衝動的に、自虐に走った。走らざるを得ないほど、日常生活が大きく変わる、その認識が衝撃的だったのではないのか、と。
 元生物教師らしく、原子力のこととかちゃんと勉強しているので、衝動的って言い方は当てはまらないかもし出ませんが、著者は歌集を出したりもしている人で。
 理系の頭脳と詩人の心の持ち主が、原発事故後の衝撃を表現すると、こうなるのか。

「光って見えるもの、あれは」2010/12/15 10:23

 なんてうつろいやすいものなんだろう。思いっていうものは。

 川上弘美作品には珍しく、高校生の男の子による一人称で語られていて、各章では国内外の詩歌が引用されているのですが、残念ながらあんまり、その引用の意味がわたしには理解できなかったりします。
 もともと詩のように感じられる(理性より感性に訴えてくる)小説を書く作家ですし、句集なんかも出しているのでそれも読んでみたいものですが。
 主人公・翠の世界は主に二つ、家族(祖母と母、生物学上の父親である大鳥さんなど)と学校(子どもの頃からの友人や、付き合っている彼女)で、まあ普通っちゃ普通です。
 実際翠は、母親から「今日はどうだった?」と聞かれていつも「普通だった」と答えるのですが。それって何か、つまんないですよね。
 友人の花田は、自分が「シミシミと」世界に溶け込んでしまう感じが嫌で、女物の服を着て登校するようになる。
 彼女である水絵は、何度も翠に「自分のことが好きか」と確認して、親に見られないように自分の日記や手紙をいつも大きな鞄に入れて持ち歩く。
 若い人たちは「普通」に溶け込むことに抵抗するものなんでしょうか。「普通」っていうのは一つ間違えると「惰性」に繋がってしまって、何かちょっと極端な行動にはしらないとアイデンティティが確立できないのかもしれません。
 あいまいで移ろいやすい世界で、翠が確かな「実感」を求めるようになるまでの物語、でいいのかな?

「これでよろしくて?」2010/12/10 13:30

話すほどのことじゃ、ないのよね、たいがいのことは
  (中略)
でも、話すほどのことじゃない、ことの方が、説明しやすい悲劇、よりも、むしろ後になってじわじわと効いてきちゃうのよね

 というような、曖昧模糊とした細々とした要素を積み重ねていくのが上手な川上弘美作品ですが、本作はそれが手法、ではなくそのまんま主題に持ってきています。
 分かりやすいけど、そのまんますぎるかなあ。
 主人公はいつものように、三十代の主婦で、話の場面は主に二つ。
 一つは、彼女の家庭での問題で、たとえば「夫は毎年誕生日プレゼントを買ってくれるけどあんまり嬉しくない」とか「居候の義理の妹が久しぶりに美味しいものを食べに行こう、というのを聞いて不快感を覚える」とかですが、中心はヨメ・シュートメ問題です。
 夫やその家族との間に波風立てたくない、取り立てて言うほどのことでもないから黙っていようとするのですが、ひとつひとつは小さくても、積み重なっていくと……
 で、その対極にあるのが、「これでよろしくて?同好会」です。
 家族でもなければ友達でも恋人でも同僚でも同級生でもない、「モトカレの母親」というまた関係者なんだか無関係なんだか微妙な人物から誘われて、やっぱり年齢も何もかも違うメンバーと共に、モリモリとお食事しながら、ささやかなテーマについて意見を出し合うのです。
 たとえば「セックスの時に自分のパンツを何処に置いておいてどのタイミングではくか」とか「なぜ肉じゃがは日本人の代表的なオカズに選ばれるのか」とか「音姫を使わないのはマナー違反なのか」とか、そんなとりとめもない議題を真面目に、忌憚無く喋るのがこの同好会。
 主人公は「これでよろしくて?同好会」では、やすらいでいるのですが、夫やその家族たちとの付き合いに色々変化が訪れ、その時々で「自分はこの人たちと家族になれていない」と疎外感を感じます。人と人との間にある微妙な気配を「おばけ」と言い表し、そいつは関係が近いほど大量発生して主人公を惑わせます。
 でも、「おばけ」って、悪く作用するものばかりってわけじゃないんですよね。
 川上弘美作品は、読んでいて共感できる点が多いのですが。
 これはアカンやろう、と思ったことが。
 母親に剥いてもらった蟹の身を当たり前のように食べる夫なんて、我慢できません。

「風花」2010/09/13 17:30

 カザハナ、それはなかなか地面には落ちずに中空を漂う雪。
 そんな感じで、ヒロインののゆりは夫が浮気していると知っても、仲直りすることも開き直ることも別れることも出来ずにウダウダし続けている、お話。
 のゆりの年齢設定は私より少し上なんですが、本を開くと、えらく幼い声がします。「ゆりちゃん」「まこちゃん」「たくちゃん」という人物の呼び方のせいもあるでしょうが。
 なんていうか、このヒロインのグズグズして反応が鈍くて世間知らずで想定外の事態にはホンのちょっとしたことでも対応できずに固まってしまって、というあたりが、イライラするんだけど、他人とは思えない。なんか、分かってしまう。
 各章のサブタイトルは、本題を含めて全て季節感のある言葉。時の移ろいの中で、鈍いながらも混乱しながらもポツポツとわいてくる、のゆりの感情を描く。大きな感情の爆発とかがないので、起伏の乏しい微妙な変化を小説にするわけです。
 なかなか話が進展しないのは、自分の気持ちを掴みかねたまま、動けないから。
 川上弘美の小説にはありがちですが、夫である卓也の方の心情変化はのゆり目線から伺うばかりで、その内実にまでは踏み込みません。物語的には、彼の身に起きたことの方がドラマチックな気もするのですが、社内不倫、としか分からない。
 この人もある意味では真面目な人なので、本命である不倫相手が一番なんだけど、奥さんのことをポイと捨ててしまうこともできないで。
 ラストシーンで、のゆりは自分が赤信号を渡っていることに気付きます。「止まらずに、このまま渡っちゃえばいいんだ」そう思って駆け出す姿に、やっぱりなんか共感できるのです。
 個人的に、家出した時とか仕事辞めたときとか、そんな心境だったなあって、しみじみ思いました。

「真鶴」2010/08/24 17:45

 傑作です。
 これまでの川上弘美文学の集大成っていうか。ヒロインに不可思議な存在がついてくるのは芥川賞を取った「蛇を踏む」(今、めっちゃ読み返したい)をはじめとした幾つもの作品に用いられてきた手法で、失踪した夫の位牌を拝みに夫の故郷へ行くあたりは、「センセイの鞄」でセンセイが亡くなった奥さんの墓参りにいく件を思わせます。

 話の筋自体はシンプルなもので、ヒロインの京は、十数年前に夫に失踪されて、母と娘と、三世代の女三人暮らしで、時に、妻子を持つ恋人と会っている。そんな彼女が、「ついて来るもの」と対話していくうちに色々思い切ることが出来る、ということなのですが。
 現実(住まいである東京)と夢幻(旅先の海辺の町、真鶴)の世界とを行ったり来たり、交差したり、という構成には重大な意味があり、要するに日常生活の雑事の中で紛らわせてしまっていた繊細なものが、旅先という異界で少しずつ向き合っていくということです。
 最近再読した「スプートニクの恋人」でも、自分の大切な一部を異界に隔離してしまった人物が出てきますが、京も、「真鶴」にアルモノを置いてきます。しかし「スプートニク」と決定的に違うのが、たっぷりの切なさ。そして置いてきた後の、希望。 
 遠い、近い、にじむ、交わる。夫や恋人や娘との距離の感じ方、その愛情の繊細さが、川上弘美独特の、ひらがなを多用した柔らかい言葉で紡がれます。ひとつの単語に幾重にも意味を見出せそうで、これはちょっと、一読しただけではキチンと理解できそうにありません。
 回想と夢幻と現実と。切れ切れで抽象的な表現を多用していますが、でも、何か、伝わるのです。それが誤魔化しのない、一人の女の赤裸々な心情の在り様なのだと。
 激しく燃えあがるような熱い心情ではなくて、水のように切々とした悲しみ。
 本当に切なくって、じんわりときます。

「夜の公園」2010/06/19 12:34

 申し分ないはずの夫のことを好きでなくなったことに、気付いてしまったリリは、そっとマンションを抜け出して、真夜中の公園へ。

 川上弘美の小説に、夫がいるけど他に好きな人がいる、恋人がいる、というヒロインはわりと多いのですが、これは珍しく、ヒロインだけでなく夫の方にも存在感があります。
 四角関係というか、五角関係というか。彼らの想いや行動やつながりを説明する単語はたくさんあるでしょう。でも説明しきることはできない。分かりやすくまとめられてしまいそうなそれを、解きほぐしてひろげたような小説。
 分かりにくいようで、でもなんとなく分かるんですよねえ。後半の、妊娠とか離婚とか結婚とか心中とかの大きな出来事で動いていく展開より、登場人物たち人となりをこつこつと積み上げていく過程で話が構築されていくあたりのほうが好きです。きりきりとした現実感は分かりやすいですが、ぼわぼわとした日常もまた、リアルなのです。
 厄介だけど魅力的な人たち。叙情的な、説得力。