「授乳」2024/02/24 16:34

芥川賞を受賞した「コンビニ人間」で一世を風靡した村田沙耶香のデビュー作と、「コイビト」「御伽の部屋」の計三編を収めた、講談社文庫。
三つとも若い女性が主人公。表向きは大きな問題は無いような顔で、しかし内実は、人間世界から透明な膜で隔てられたように生きている。彼女たちの魂が生きているのは、自身で作り上げた仮想世界で、具体的には、家庭教師との授乳ごっこや、ぬいぐるみや、同年代の男との演技空間です。
芥川賞受賞作と、基本は同じ。あれは、主人公にもっと年齢を重ねさせ、誰もがおなじみのコンビニというシステムを仮想世界の装置として設定したのが強烈でした。
コンビニ人間よりも若いヒロインたちは、コンビニよりも頼りない世界で息をする。
時折、現実の、まっとうな感覚に脅かされながら。
彼女たちに、安住の地はあるのか。

「あやし」2023/12/10 21:41

今年は、宮部みゆき作品を結構読んでいました。読みやすくて面白くて、電車読書にちょうど良いエンタメ小説なのです。
2003年の角川文庫、お江戸の奇談小説集九編も、一日一話のペースで読んでいました。
辛いこと面白くないことがあっても辛抱して、誠心誠意尽くしまっとうに働く。それこそが肝要であると作中で語られています。
辛抱できなかったり、何かに心を囚われたりして、道を逸れてしまったところに、魔が宿る。
「影牢」が特に怖かったです。人の悪意、残酷さが際立つ。
世に潜む魔の気配。恐ろしい怪異でありながら、人の業としての暗い親和性がある。
それに囚われる者、そっと距離を置く者、寄り添う者、力強く立ち向かう者。
人それぞれのやり方で、「あやし」に対応していく物語。

「心とろかすような マサの事件簿」2023/10/18 22:59

どちらかと言えば、犬派です。
格好良いジャーマンシェパードが、探偵・加代ちゃんの相棒として事件を追う短編集。創元推理文庫、宮部みゆきの初期作品で、携帯電話が影も形もない時代。
しかし、いつの時代でも、古びることない、心の隙間。そこにつけ込む、もしくはそこから生まれる、人の悪意が、聡明で情に篤い元警察犬の目線で描かれます。とくに、短編集に書き下ろされた一編が、切ない。
さすがの面白さ、前作の、パーフェクト・ブルーも読んでみたい。

「おそろし 三島屋変調百物語事始」2023/04/22 23:08

続編の、くろすけの表紙絵が、可愛い。
宮部みゆきの、このシリーズ、自分は聞き手が変わったところから読み始めたのですが、若いおちかさんが聞き手を務めたのが発端。まっとうに生きてきた善人たちの、内に秘めた暗い影が語られる。
語られてきた怪異が、ラストの第五話できれいにまとめられ、おちかさんの人間への恐れと後悔も拭われて、めでたし、めでたし。シリーズものにする必要ないじゃないかとも思えましたが、作者の好み・創作意欲にばっちりハマった形態なのでしょう
舞台が江戸時代なのも良いです。基本が怪談なので、暗く悲しいエピソードなのですが、お着物描写の華やかさ、商人たちの言葉遣いの丁寧さ、礼儀正しさがいいなあ。ちょっと見習いたい。

「小暮写真館」2023/03/18 18:30

講談社100周年記念書き下ろし、とたいそうな名札がつき(自分が呼んだのは2013年の文庫版)、ボリュームはあるのですが、宮部みゆきにしては結構ライトな印象。社会の闇を鋭く突くとか、巨悪に立ち向かうとか、身の毛もよだつ怪異とか、ではありません。主人公の高校生男子の半一人称的な語りも、軽妙で。
幽霊が出る写真館に、心霊写真、というのも、ほんの小道具というか、背景にすぎない。
全四話形式の作中で描かれるのは、古い写真館に移り住んだ主人公の生活と、ごく普通の人々の、普通の生活の中で生じる、個人的な苦しみ。
戦争のこととか、夫の実家になじめないとか、恋人に対して顔向けできなくなったとか、幼い子供を病死させてしまった一家とか。
抱えた苦しみを打ち明けることで、厄落とし、みたいな感じになるのは、筆者の三島屋百物語シリーズに通じる気がします。主人公のエイイチ君は怪異の謎を追う形で、聞き役を務めるのですが、終盤に言いたいことをぶちまけます。
人には、言えないことがある。にもかかわらず、語りたい。誰かに聞いてもらいたい。あるいは、何らかの形で意思表示したい、気づいてもらいたい。
それが、次への後押しになる。

「魔術はささやく」2023/01/15 22:25

宮部みゆきの出世作、日本サスペンス大賞。
前半は「火車」のような社会派でいくのかと思ったら、後半はSFみたいになって、ミステリとしては中途半端な気はします。
それでも、ちゃんと面白く読めました。各登場人物たちに説得力があり、軽妙な会話で飽きさせない。主人公の守くんは深刻な生い立ちですが、力になってくれる大人や友人がいて、変にねじ曲がることなく育ってくれました。
しかし、彼はそれだけの少年ではない。高校のいじめっ子に激怒して、逆に相手を精神的に支配することに成功する。
そこに鍵穴があり、それに合う鍵を用意すれば、中身は第三者の手の上に容易に転がされる。魔法の鍵は、取り扱い注意。それなのに、簡単に使ったり、使われたりするのです。
人の意識の底にある、欲望や不安を開く、魔術。クリスティーのポワロものにも、人を操るたぐいの事件がありました。
世界中で、人は、さまざまな形で魔術にかかり、自分では止まれぬダンスを踊るのでしょう。

「鳩笛草」2022/01/23 21:57

表題作の他に、「燔祭」「朽ちてゆくまで」2編収録。光文社文庫プレミアムって要するに、新装版ってことでしょう。
予知能力、発火能力、他者の心を読む。宮部みゆきのエスパー物。主人公が特殊能力持ちって昨今のエンタメ作品では珍しくもないのですが、物語の巧みさで、とても面白く読ませてくる。前世紀の作品で昭和の香りにちょっと笑っちゃうけど、古臭い感じでもなく。
しかし、ストーリーは、愉快でも痛快でも面白おかしくもないのですね。3人のヒロインはそれぞれ、どこか孤独の影が付いてくる、マイノリティー扱い。事件の真相を追う形式であるけれど、核となるのは彼女たちの苦悩なのだから。
特殊能力で大活躍する話が世に溢れるからこそ、この切り口が逆に新鮮。

「女のいない男たち」2021/10/23 12:13

先月観た映画の原作本。原作っていうか、原案っていうほうが近い気がします。多言語とか手話とか特徴的な要素は、脚本オリジナルだった。それでいて、元ネタ小説のニュアンスはどこか、残っている気がします。物語を生きる、演じる、その中からの生まれ出る本質的な言葉。
まあ、そもそも村上春樹作品は、解釈の幅が広いものですからねえ。
巻末の描き下ろし作品がこの短編集の表題作であり一番短かったので、それを先に読んだのですが、これが、独特のメタファーに彩られて具体性がとぼしく、つまり私の苦手な読みにくさなのです。
ところが、他の5編は、普通すぎるくらい普通に明確な物語。どうやら、私は読む順番を間違えたようです。女に去られた5人の男たちが抱える、空虚感。それを5つ積み重ねた後、抽象的な世界観へ入っていくべきでした。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」2019/10/05 06:54

ベルリンの壁崩壊30周年の今年、読み返そうと思っていた作品。壁繋がりなら「進撃の巨人」も考えたんだけど、完結してないからなあ。
世界には壁がある。それは集団と集団の間に、認識と認識の間に、認識と事実との間に、個人と個人の間に、そして個人の中にすら何かを隔てる壁がある。みんなそれは感覚的に分かっている。
「でも、最終章のサブタイトルは、<鳥>なんです」
大昔、大学のゼミでそんな発言をしたことがある。当時は今以上に自分の思考をまとめきれなかった自分。しかし作中には確かに、壁を自由に行き来する翼のイメージが随所にある。
世界の終わりは壁に囲まれた町。そこに入る者は影を切り取られ、名前が無くそれまでの記憶も無く心も吸い取られ、その代わり平和と安寧を得られる。その世界における厳しい冬とは、何を意味しているのか。森や、獣や、クリップや、発電所や、壁。その他いろいろは何を暗示しているのか、考え出すと頭の中がグルグルしてくるけど、そういう楽しみ方をするのが正解なのでしょう。
一方、ハードボイルドワンダーランドのほうは、不条理小説。摩訶不思議な展開をリアリズムで描こうとしてかえって意味不明な世界が出来上がっている。そういうのが、春樹作品の苦手なところだ。主人公が酷い目にあっているのは分かるけど、彼だけじゃなく登場人物の誰にも、共感を抱けない。
ハードボイルドワンダーランドの主人公(名前は無い、彼だけじゃなく登場人物の誰も名前が無い)のインナーワールドが「世界の終わり」であり、その両者をつなぐのが音楽っていうのが上手いというか狡いというか。作中の他の曲は分からないけど、ダニーボーイは分かる。分からないと全然面白くないと思う。
村上春樹にとって壁は、絶対越えられないモノではないのでしょう。では、それができるは、翼ある特殊な存在のみなのか、それとも誰にでもその可能性は持っているのでしょうか。

「潤一郎訳 源氏物語」2018/11/23 11:53

イケメンは何でも許される、というお話。ただし、あまりの気高さ美しさに涙が落ちるほどのレベル(笑)。
中公文庫で全五巻。しかし思ったよりも難しくて、なかなか読み進められない。谷崎のが原文イメージに忠実って聞いたけど、やっぱり晶子か寂聴か田辺版あたりにしとけばよかったかなあ。和歌とか宮廷文化の記述は注釈あっても難しい(興味深くはあるけど)。
はかばかしく読み進められなかったもう一つの理由が、「光源氏コイツむかつくなー」。賢木の雨夜の品定めなんて、どいつもこいつも自分のこと棚に上げて言いたい放題。しかし、理想の女性を求める色好みは止まらない。
嫌がる人妻にしつこく言い寄り(空蝉)、連れ出した身分低い女が変死すると知らん顔でごまかし(夕顔)、お友達が探していると知っているのに教えず(夕顔・玉鬘)、少女を誘拐し(若紫)、父親の后と密通し(藤壷)、お兄さんの彼女にもちょっかい掛け(朧月夜)、田舎で謹慎中にも女を作り子を作り(明石)……。たくさんの女たちについて、その後についてもちょくちょくフォローを入れてくるあたり、作者と言うか編集者が神経を使っている感じ。
色々やらかしながらも、如才なく世渡りやって栄華を極め。そんなウキウキ人生で、ままならないことが三つ。六条御息所の怨と、北の方を寝取られたこと、そして最愛の人に先立たれたこと。……一番の盛り上がりが、若菜上下だねえ。
対する朱雀お兄さんが気の毒なポジションで、朧月夜にも秋好中宮のケースも煮え湯を飲まされ、紫上や柏木君の危篤と重なって五十歳の記念行事はオザナリになって、可愛がっていた女三宮も若くして出家する羽目になり。
そして、その貧乏籤体質は、お孫さんの薫君に受け継がれてしまった!彼の恋路を阻むのが、光君のお孫さんであるプレイボーイ匂宮!
宇治は「憂し」に通じる。片道六時間の遠距離、三角関係四角関係。宮廷や政治からは離れ気味に、宇治十帖は普通に恋愛小説みたいで面白かったです。