「消えた声が、その名を呼ぶ」 ― 2016/02/13 16:18
先月観た「海難1890」とセットで観ようと思っていた作品。「海難1890」がヒューマニズム映画なのに対し、同じトルコを舞台にしていながら、こちらは、大虐殺が行われます。
映画の前半がオスマン・トルコ内の少数民族ジェノサイド、後半が主人公の娘探しの旅、という構成ですが、虐殺シーンがひどすぎて娘探しの方の印象が薄まったかなあ。
100年前のこの蛮行についてはこの映画を知るまで全く無知でありましたが、パンフレットによると、アルメニア人側は150万人が犠牲になったと言い、そして現在のトルコ政府はせいぜい死者5万人くらいで戦争中の不幸な出来事、みたいな扱いで、両国の関係に暗い影を落としているという……なんかどっかで聞いたことあるような。負け戦で落ち目な政府ってのは常軌を逸した非道をやってしまうようです。
何でこんなことしたのか作品内では説明されませんが、イスラム教のトルコ帝国内で、キリスト教のアルメニア人が暴動起こすんじゃないかって思われていたようです。「死の行進」の意味もよく分からなかったのですが、その目的はなんと、「飢えと渇きと疲れで死ぬまで歩かせ続ける」だそうで、その結果の死屍累々シーンだったのでした。ガス室作っただけナチスが人道的だと錯覚するほどの非道で、なるほど、トルコのタブーだなあ。
私の勉強不足のせいもありますが、映画見ていて「なんで?」て思うことが多かったのがなあ(疑問点が多すぎてパンフレット買ったようなもの)……娘探しで北米の南の辺りにいたはずだったのに、何故か、いつの間にか雪国に……どうやら、アルメニア人というのはユダヤ人や華僑みたいにあちこちの国にコミュニティを作っているらしくって、娘の手掛かりを失ったナザレットさんは北米のアルメニア集落をかたっぱしから探し回ったみたいです。かたっぱしから、といえば、トルコ周辺の孤児院を訪ねまくったりもしましたが、「これって手紙で問い合わせても良かったんじゃあ(この時代の郵便事情はどうなんだろう)……」なんてことも思ってモヤモヤしたり。
ファティ・アキン監督による「愛・死・悪」三部作の「悪」テーマのお話で、民族浄化という大悪と、「羅生門」的な普通の人の悪(正義の心も無いわけじゃないけど自分の都合で悪事もやってしまう、という)。キリスト教徒だったナザレットは神に祈るのをやめ、他者をひどい目に合わせることもありました。
しかし、悪を描くには、その対となるものも描かれなければなりません。彼が生き延び、娘とめぐりあったのは、悪いこともやっちゃう人々の、良心や義侠心のおかげだったのでした。
映画の前半がオスマン・トルコ内の少数民族ジェノサイド、後半が主人公の娘探しの旅、という構成ですが、虐殺シーンがひどすぎて娘探しの方の印象が薄まったかなあ。
100年前のこの蛮行についてはこの映画を知るまで全く無知でありましたが、パンフレットによると、アルメニア人側は150万人が犠牲になったと言い、そして現在のトルコ政府はせいぜい死者5万人くらいで戦争中の不幸な出来事、みたいな扱いで、両国の関係に暗い影を落としているという……なんかどっかで聞いたことあるような。負け戦で落ち目な政府ってのは常軌を逸した非道をやってしまうようです。
何でこんなことしたのか作品内では説明されませんが、イスラム教のトルコ帝国内で、キリスト教のアルメニア人が暴動起こすんじゃないかって思われていたようです。「死の行進」の意味もよく分からなかったのですが、その目的はなんと、「飢えと渇きと疲れで死ぬまで歩かせ続ける」だそうで、その結果の死屍累々シーンだったのでした。ガス室作っただけナチスが人道的だと錯覚するほどの非道で、なるほど、トルコのタブーだなあ。
私の勉強不足のせいもありますが、映画見ていて「なんで?」て思うことが多かったのがなあ(疑問点が多すぎてパンフレット買ったようなもの)……娘探しで北米の南の辺りにいたはずだったのに、何故か、いつの間にか雪国に……どうやら、アルメニア人というのはユダヤ人や華僑みたいにあちこちの国にコミュニティを作っているらしくって、娘の手掛かりを失ったナザレットさんは北米のアルメニア集落をかたっぱしから探し回ったみたいです。かたっぱしから、といえば、トルコ周辺の孤児院を訪ねまくったりもしましたが、「これって手紙で問い合わせても良かったんじゃあ(この時代の郵便事情はどうなんだろう)……」なんてことも思ってモヤモヤしたり。
ファティ・アキン監督による「愛・死・悪」三部作の「悪」テーマのお話で、民族浄化という大悪と、「羅生門」的な普通の人の悪(正義の心も無いわけじゃないけど自分の都合で悪事もやってしまう、という)。キリスト教徒だったナザレットは神に祈るのをやめ、他者をひどい目に合わせることもありました。
しかし、悪を描くには、その対となるものも描かれなければなりません。彼が生き延び、娘とめぐりあったのは、悪いこともやっちゃう人々の、良心や義侠心のおかげだったのでした。
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