「李陵・山月記 弟子・名人伝」2011/01/23 19:34

 李徴はどうして虎になってしまったのでしょうね。彼の中の「尊大な羞恥心」が虎だったのだ、ということですが、でも虎って、そんなこと考えながら生きてるんでしょうか。羞恥心だの自尊心だのいうのは大脳の膨らんだ猿の一族に特有のものだと思うのですよ。ある意味、李徴は完全に虎になってしまって初めて、それらの性情から脱することができるのではないでしょうか。それと同時に、夢や家族や友人も失ってしまうわけですが。

 学生の頃古本屋で購入した角川文庫は、作者年譜や解説が豊富で、参考文として中国古典も書き下し文で掲載していてお得感があります。ちなみに「人虎伝」によれば、李徴は人だった頃放火殺人をやったと告白しています。こちらの方が虎っぽい。

 「山月記」以外では、
「李陵」
 ご存知、李陵が可哀想すぎるお話。どんな苦難の中でも匈奴に屈せず武帝の死に涙する蘇武は、儒教的君臣論では申し分ない立派な人なのかもしれません。しかし親近感が持てるというか、共感できるのは李陵のほうですよ。
 ただし、もう一人の主人公・司馬遷が「身を全うし妻子を保んずること」をのみ考える者を批判していることからも、己の都合ばかりで大儀のない行いは人としてダメだってことなんでしょうね。理屈は分かるのですが。人間らしくって、如何に?
「弟子」
 まっすぐすぎる<大きな子供>な子路。なんだかんだ言って現実主義な孔子との対比が面白い。というかこの話では、己の保身より正道を行くことを選ぶ子路のほうが好感もてるんですよねえ。
「名人伝」
 ありえない系の落語のような。弓の道を極めようとした男が、極端な修行の果てにありえない境地に行き着くこと。この話にしろ、蘇武や司馬遷にしろ、立派な人ほどドコか変な感じ。
「悟浄出世」
 かの「西遊記」主要メンバーの中で最も影の薄い彼は、三蔵の弟子になる前はかなりウツ気味な妖怪。<自己および世界の究極の意味>などというたいそうなモノを知るために妖怪世界の哲学者たちを何人も何人も訪ねてゆき、それぞれのテンでバラバラな思想を聞いて返ってわけ分からなくなり・・・・・最終的には「考えるより、動け!」ってことで。
「悟浄驚異-沙門悟浄の手記-」
 思索家・悟浄による西遊記メンバーのキャラクター紹介。それぞれの良いも悪いもよくよく考察した上でいずれもただならぬ人物であると評価するのですが、そういう悟浄自身もなかなかステキな人だと思う。

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