「葵の帝 明正天皇」2010/09/15 23:23

 有名な和宮は天皇家から将軍家へ嫁いだのですが、昔は逆だったんですね。
  「和子の和は公武和合の和」と、祖父の徳川家康から言われたのが8歳のとき。入内後、和子女御(東福門院)は徳川の血筋を帝位につけることを生涯の使命として執念を燃やすのですが、菊と葵のせめぎ合いの果て、夫の後水尾天皇は(拗ねて)譲位し、和子の長女、女一宮(明正天皇)が即位したのでした。
 女一宮、このときわずか8歳。家康もこんな形で曾孫が葵の帝になることなんて望まなかったでしょうが、和子の産んだ皇子はすぐ死んじゃうし、後水尾天皇は徳川家大嫌いですし。
 作中で何度か触れていますが、武家の血筋の天皇は、あの安徳天皇以来なのだそうです。もしもこの時代に頼朝クラスの人材がいたら、東福門院と明正天皇は、建礼門院や安徳帝のような運命をたどったかもしれません。実際は、ひいおじいちゃんは危険分子に温情かけて伊豆に流すなんてことはせずにきちんと排除してくれていたのですが。それでも、由井正雪の乱が起こったとき、朝廷にいる彼女たちは、思わずにいられません。徳川家が亡んだら、どうなるのだろう?
 後水尾との手習いで、「忍」の一字を書く場面が印象的です。後水尾は「関東ふざけんな!」の思いで力強く書くのですが、女一宮の「忍」は弱弱しい。菊と葵の狭間を流れるか細い谷川に喩えられます。「朕の皇位は呪われておる・・・・・・」
 それでも、彼女は、武家と公家、母と父との融和を己の役割だと考えて心を砕くのですが、21歳のとき、突然父から退位を申し渡されて・・・・
 気鬱に伏せる彼女の癒しとなったのは、ぼろぼろの衣を纏った、一人の僧侶だった!
 武家と貴族の両方のトップの血を引く女一宮が、貧しい身なりの一介の僧侶に救われるのですよ。宗教、信心の力ですね。一方、同じくストレスの多い人生を送った東福門院の癒しが、着道楽だったというのも面白い。女だったら、服買うの楽しいですよね。

 作者の小石房子さんは「女帝」がお好きなようで、古代の推古・斉明・持統の三部作があります。いずれも血みどろの権力闘争の中で激しく悲しく生きた女の物語ですが、今回の明正天皇が一番面白かったです。