「アサッテの人」2010/06/04 11:05

 ここ何年か、芥川賞作品は図書館の文芸春秋で読むことが多いです。辛うじて現代文学に触れている。短いので手に取りやすいんです。
 
 著者の諏訪哲史氏については全く知らなかったのですが、授賞式で歌った、というエピソードを何かで読んで、「うわー、そういう罪のないオモロイことする人かー」と、興味を持っていました。しかも、新人賞授賞式でドン引きされたのに、懲りずに芥川賞でも歌っちゃったという痛々しさ。
 ところが、受賞作を読んでみれば、そのエピソードが単に面白いとか目立ちたがりとか痛々しいとかいう行動ではなかったということが分かりました。それ、作品のテーマそのものです。
 自然の摂理やら世間の常識やら、普通の当たり前の流れに組み込まれてしまうことを恐れる「筆者の叔父」を、小説という形式を破綻させる表現方法(冒頭からして、「以前筆者が書いて自ら没にした原稿の引用」という面倒くささ)で分析していきます。作者は「歌」で授賞式を逸脱していますが、作中の叔父は「意味不明な言葉」を発することで、日常の形式を逸脱しています。
 自分自身をなんとなく既成の枠の中に入れてしまわず、そこからはみ出た「アサッテ」の中にアイデンティティを感じる。そこにこそ理屈を超えた真実があるということでしょう。しかし、授賞式で歌う、という突飛な行動も、何度も繰り返してしまえばそれも一つの「形式」になってしまいます。そんな感じで、病的に枠に嵌められることを厭う作中の叔父も「アサッテ」を無理に追い続ける狂気に染まっていきます。
 もう一つ。叔父が狂気に走るきっかけに、奥さんの死があります。この奥さんは至極まともな枠の中にいる人物で、夫の奇妙な言葉に戸惑いながらも、きちんと愛があります。
 バランス、というか、土台となる枠組みがあってこそ、それを破綻させる「アサッテ」も生きてくるのでしょう。

 この作品の面白くないところは、作者が全部分析しすぎて味も素っ気もない点でしょうか。ストーリーが無く、奇妙な作品構成もウザイうえにすぐに飽きますし、いびつな(だからこそ誠実でもある)解説が押し付けられているような。こういう哲学っぽい作品は、解説よりも問題提起的な感じのほうが好きです。

「あすなろ物語」2010/06/04 11:53

 井上靖はやっぱりイイです。(しみじみ)
 明日はヒノキになろう、そう願いながらも檜にはなれない翌檜。
 作者の分身である主人公をはじめとする人々を、そんな翌檜に喩えて、しかしそこにあるのは自嘲や自己憐憫ではなく、多少の哀切を帯びながら、温かい眼差しを向けられています。
 だから、歴史小説でも武田信玄ではなく彼に仕える軍師(しかも大一番で作戦失敗する)を描き、鑑真ではなくその周辺のほとんど無名の留学僧を取り上げます。
ところどころに詩人らしい叙情性はあっても、基本的な文体は簡潔で抑制されていて、それなのにどうしてあんなにも温かみのあるモノが書けるのでしょう。
 どんなに愚かしく、無力でままならぬ人生であっても、井上靖は決して否定しませんね。たとえヒノキになれずとも、あすなろな人々を信じているし愛しています。だから、歴史小説でも武田信玄ではなく彼に仕える軍師(しかも大一番で作戦失敗する)を描き、鑑真よりもその周辺にいる無名の留学僧を取り上げます。

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