「宮廷画家ゴヤは見た」2010/06/20 23:55

 番組最後のプレゼント応募のお知らせにて、「カルロス4世の家族」のフィギュアって。なんでもフィギュアになるんですね。
 めったにこういうのは見ないのですが。昨夜の「美の巨人たち」でゴヤをやっていたので。
 王家の肖像画の中で、一番後ろの暗がりに描かれたゴヤ本人が、後ろから王様一家を覗き見しているようにも見えて、なんかおかしい。


 ゴヤのファンになるきっかけとなった映画。2008年秋に書いた感想です。


 清らかな聖女と卑小な男の物語。
 ゴヤ自身は、各登場人物達のつなぎ役で、物語の中心ではないのですが、ただし、タイトルの通り(原題は「GOYA‘S GHOSTS」)、鋭い目でこの世の真実を全て見つめています。
 陰惨で醜悪な教会、混沌とした激動の時代、きらびやかで滑稽な宮廷、清らかな人。
 映画として、他の芸術作品の力を借りるのはちょっとずるい気もするのですが、オープニングの一秒目からエンディングの最後まで目が離せないのですよ、ゴヤの描く絵画や版画の魅力が圧倒的で。
 他に、映画の表現として、間の取り方、というか、間の潰し方が印象的でした。「どうやって?」と尋ねた次の瞬間、間髪入れずに拷問のシーン。
 ナタリー・ポートマン演じるイネスに涙です。裕福な商家の娘が異端審問にかけられ、ナポレオンのスペイン侵攻でようやく開放されたのが、15年後。美しかったイネスが、老婆のようにぼろぼろになって出てくるのです。実家に帰れば親兄弟の死体が転がっていて。
 「豚肉を食べなかったのは隠れユダヤ教徒だから」というスカ理由で、人を殺しても逃げ勝ちできるほどの年月を地下のあなぐら(牢屋とすら呼べない)に素っ裸で鎖に繋がれていたのです。そんな目にあっても、彼女は、一言も何かを恨む言葉を発しません。
 ぼろぼろになってなお美しい。人を信じる目で、人を愛する言葉を語るから。
 長い極限状態で正気を失っていたから、と言えばそれまでですが、それ以前に、ゴヤが彼女を教会のフレスコ画のモデルにしたのは、彼の目が彼女の中にそういうモノを見たからだと、思えるのです。
 もう一人の主人公であるロレンソ(どうしても「ロレンゾ」と聞こえるのですが)は、人間が普通に持つ卑怯さをこれでもかってくらい表した、非常に好感度の低い人物。そんな彼が、最後に信念を通し、微笑む・・・・。
 スペインの歴史はもう遠い記憶ですし、絵画の知識はほとんどないので、映画の後で即パンフレットを買いに行きました。美術展にも行きたいです。どこかでゴヤ展やってないかなあ。