「家路」2014/03/13 11:13

 沢の水を手ですくって口に含む。
 シンプルでありながら美しいオープニング映像なのに、それを観てゾクッとしてしまったのは、その山野が放射能で汚染された地域だから。

 なんか違う。3.11後の福島を舞台にして、無人の荒れた街並みや狭くて無機質な仮説の並ぶ画とかもあるのですが、よくある震災モノ映画やドキュメント番組とは全然違う。
「家族モノ」「農業モノ」映画でした。
 原発事故のためかけがえのない日常生活を奪われてしまった的なカンジじゃなく、この一家のそれぞれが事故以前から影を含んでいた点に特色があります。それまであったものが失われてしまったからこそ、自分の生き方を見つめなおしたり新たな価値観を得たりもできるんじゃないか、と。
 福島の人たちにはウケが悪いんじゃないかと、思えてきます。田舎の美しいところも、イヤな感じも両方みつめた作品なので。
 簡単にまとめてしまうと、事情があって故郷を追われた次男(松山ケンイチ)は原発事故で無人になってしまったおかげで実家に帰って農業生活に戻ることができ、先祖伝来の土地に拘って仮設でウジウジしていた長男(内野聖陽)は気まずかった弟と再会してなんか吹っ切れて別の土地で農業再開の決心をつけるお話。
 次男の方は東京での生活で大変わびしい思いをしていたらしく、電気もつかない無人の山野での農業生活をめっちゃ晴れ晴れした表情で満喫しています。これは松山ケンイチによるキャラクター解釈の要因が大きいんじゃないかと思います。「被災者」としての悲壮感とか不安とか怒りとかは全然なく(そのへんはお兄ちゃんのほうが表わしています)、新たな生活を穏やかに力強く進めていくのが、黙々と農作業する姿からビシビシ伝わってきます。
 最後に認知症になった母親(田中裕子)と並んで田植え(今時手で植えるって・・・・)をするのがクライマックスシーン。親子で全く同じリズムで作業します。すごい地味なのに、ちゃんと美しい。
 久保田直監督はドキュメンタリー畑の人なのですが、説明的なナレーションが一切なくて安心しました。思わせぶりなセリフはちょっとわざとらしさも感じましたが、役者がみんな上手いので。
 音楽は加古隆でした。NHKスペシャルの「パリは燃えているか」とか映画「最後の忠臣蔵」「博士の愛した数式」など手がけた方で、優しいピアノが素敵です。
 色々私好みの要素が多い映画なのですが、とにかく地味な美しさで、眠たくなってくるのが難点。

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