「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」2019/10/05 06:54

ベルリンの壁崩壊30周年の今年、読み返そうと思っていた作品。壁繋がりなら「進撃の巨人」も考えたんだけど、完結してないからなあ。
世界には壁がある。それは集団と集団の間に、認識と認識の間に、認識と事実との間に、個人と個人の間に、そして個人の中にすら何かを隔てる壁がある。みんなそれは感覚的に分かっている。
「でも、最終章のサブタイトルは、<鳥>なんです」
大昔、大学のゼミでそんな発言をしたことがある。当時は今以上に自分の思考をまとめきれなかった自分。しかし作中には確かに、壁を自由に行き来する翼のイメージが随所にある。
世界の終わりは壁に囲まれた町。そこに入る者は影を切り取られ、名前が無くそれまでの記憶も無く心も吸い取られ、その代わり平和と安寧を得られる。その世界における厳しい冬とは、何を意味しているのか。森や、獣や、クリップや、発電所や、壁。その他いろいろは何を暗示しているのか、考え出すと頭の中がグルグルしてくるけど、そういう楽しみ方をするのが正解なのでしょう。
一方、ハードボイルドワンダーランドのほうは、不条理小説。摩訶不思議な展開をリアリズムで描こうとしてかえって意味不明な世界が出来上がっている。そういうのが、春樹作品の苦手なところだ。主人公が酷い目にあっているのは分かるけど、彼だけじゃなく登場人物の誰にも、共感を抱けない。
ハードボイルドワンダーランドの主人公(名前は無い、彼だけじゃなく登場人物の誰も名前が無い)のインナーワールドが「世界の終わり」であり、その両者をつなぐのが音楽っていうのが上手いというか狡いというか。作中の他の曲は分からないけど、ダニーボーイは分かる。分からないと全然面白くないと思う。
村上春樹にとって壁は、絶対越えられないモノではないのでしょう。では、それができるは、翼ある特殊な存在のみなのか、それとも誰にでもその可能性は持っているのでしょうか。

「US」2019/10/08 00:28

つい最近読んだものだから、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を連想してしまう。監督・脚本のジョーダン・ピールは、ああいう春樹ワールド好きかもしれない。地下の世界と、陰謀と、そこで蠢くモノたち。
始まりは、ちゃんとホラー映画。ドッペルゲンガーもので、もう一人の自分が襲い掛かってくる。鏡映しの己自身が最大の恐怖。
しかし、途中からは、不条理モノ。村上春樹は不条理や理不尽をわりと淡々と受け入れて憂いに沈むけど、米国映画はそうはいかない。己の居場所を守るために血みどろの戦いを繰り広げるのだ。
大量のウサギちゃんたちとか、赤い服で手をつなぐイメージとか、エレミヤ書11章11節とか、鑑賞後にパンフレットでようやく意味が分かる。
社会の矛盾と罪。結構真面目な問いを、ギリギリ、エンタテイメント性の枠に入れてきている。

ベルリンからのフルート2019/10/08 00:35

今年はベルリンの壁崩壊30年であると同時に、巨匠・カラヤンの没後30年でもあったのだった。
今年の大フィル京都公演のチラシ、二度見して、即日チケット購入。パユだ、パユだ、世界最高峰ベルリン・フィルの首席フルート奏者だ!くしくも30年前、神戸国際フルートコンクールで一位入賞してるんで日本に縁があるとはいえ、大物登場だ。
一曲目はモーツァルトのフルート協奏曲2番。モーツァルトっぽい可愛い曲だ。オーボエ協奏曲をモーツァルト自身がフルート用に編曲して別の曲としてカウントしているという、手抜きとも流石とも言えるなあ。
二曲目は編成が大きくなりピアノや、私の好きなハープも入ってくる。「ちょっと病み上がり(本人談)」な本日の指揮者・尾高忠明氏の父上、尚忠氏のフルート協奏曲。日本人の生み出すフルート曲らしいっていうか、ところどころ日本の横笛っぽい。ハープが時々お琴っぽく聴こえたり。
フルート演奏的には、こちらの方が聴き応えがある。モーツァルト時代のフルートは楽器としてまだまだ未完成で安定しない部分が多かったそうで、新しい時代の曲の方がフルート技巧楽しめるのでした。
そして、後半はさらに大編成。抱えるだけでも大変そうな巨大チューバが目を引く。チャイコフスキーの5番は、冒頭が暗くて重くて疲れている時聴くと間違いなく寝てしまうけど、すぐに悲鳴のような大音量で目が覚める。……ていうか、この一楽章を聴いているとTVアニメ版「銀河英雄伝説」艦隊出撃シーンや「パイレーツ・オブ・カリビアン」のテーマを思い出してしまう。
上品で軽やかなフルートコンツェルトのあとだと、かなり荒々しく聴こえる。第三楽章のワルツ要らんのじゃないかってくらい、激しい闘争からの勝利の雄叫びだ。
でも、そんな大音量曲ばかりがチャイコフスキーじゃなくって。アンコールの弦楽によるエレジーはとっても静謐な美しさだから。

「海よりもまだ深く」2019/10/12 23:33

ちょうどって言っていいのか。
新作公開記念で是枝監督の16年作品を、大型台風接近のタイミングで地上波初放送。
視聴して、この映画がウケない理由がよく分かった。主人公のキャラクターが、好感度低すぎる。見栄っ張りで言い訳ばかりでやることセコイ小悪党。奥さんが愛想尽かして当然。
別に主演の阿部寛が拙いんじゃなくて、監督の描こうとしたのがそういうダメ人間で、現実にいそうな人物であるのが余計に嫌になってくる。
だからこの主人公に焦点を当てて鑑賞するよりも、彼の属する家族の構造を観る方が面白い。
というか、亡くなってからもいまだに書店の売り上げランキング上位の木樹希林の存在感が。息子そっくりなダメ亭主と長年連れ添って来たお母ちゃんが、息子の嫁(学があって自分で稼げる)がキッパリ離婚して新たな人生を築こうとしているのを、どう思うのか。嫉妬か、羨望か、近頃の若いモンは、か。
思い描いたような人生はなかなか送れない。嫌になってくる。それでも。
海よりもまだ深い、それは家族の腐れ縁。

「あやかし飴屋の神隠し」2019/10/13 23:27

妖怪は出てくるけど、怖いお話ではない。登場人物の皆さんが基本的に気の優しい人たちで、ほんのり温かい系だ。
紅玉いづき、は前から気になっていたラノベ作家。文章が句読点で短く区切られているあたり、懐かしの若木未央を思いだす。心理描写の揺らめきとか。
しかし、ラノベはすいすい読めるなー。メディアワークス文庫から14年刊行の本書では、主人公もその相方も二十代後半男性、でも女子高生キャラの描写のイキイキっぷりから、こちらの方が作者の本分なのだと思われる。
人生後悔ばかりでやたら自虐的な男が、妖怪の力でやり直し可能、と知っていたら、どうなるだろうか。あれもやり直しできる、これもやり直しできる、希望でいっぱい……には、ならない。
人生二週目望むのは、それまでの一週目人生の喜怒哀楽に対する否定なんじゃないか?

「JOKER」2019/10/26 01:24

観終わった後、猛烈に悲しくなってきて気分悪くなって、パンフレットの冒頭の「SMILE」(チャップリン!)の歌詞の前向きさがまた悲しくて。
笑う門には福来るっていうけど、ムカついたら怒って、失敗したら落ち込んで、つらい時には泣かなきゃねえ。しかし、感情表現が笑うことオンリーなのが、主人公のアーサー。
気の良いピエロ、だった彼だけど、実はちょっとずつ闇溜めこんでたんじゃないか。
精神を病んだ人間が、社会から見放されたらどうなるか。ピエロの仕事を失くし、母親への信愛は消え、恋人の愛も幻で、夢を叶える才能も無く、好きだったコメディアンへのリスペクトも憎悪に変わる。
そして、ただひとり。
守るモノ=好きなモノ、それを失くした時、凶暴な獣が目覚めるのだ。
ゴッサム・シティの貧しく荒んだ風景に、そこに住む荒んだ人々。
悲しい獣たちが、笑う。

島津製作所創業記念資料館2019/10/27 12:48

今年も日本人から受賞者が出て、大いに盛り上がりましたが。
世界が注目する、ノーベル賞の意味・価値とは何か。もちろん、その業界の人々にとっては、賞金とか名誉とかあるのでしょう。しかし科学とか物理とか、我々のような門外漢にとって理解の難しい話だ。
ただ、それは案外、距離のある遠い話ではない。各教育機関や企業の研究所での地道な試行錯誤とその成果は、はっきりとは見えにくいけれど、我々の普通の生命活動の中にある。ノーベル賞騒ぎは、それに思いを馳せる、年に一度の機会。


高瀬川の浅い流れに、写真撮影用であろう酒樽積んだ高瀬舟。床や壁は新しいけど、天井の太い梁なんかは古い家屋らしくってステキ。
明治の初めに京都の仏具屋さんが化学機械の製造業に転身し大きく発展し、ノーベル賞受賞者まで出すにいたる。当時サラリーマン受賞者なんて言われてたのは覚えているけど、この田中さんの研究何だったのか、さっぱり記憶に残っていない自分。今年のリチウムイオン電池ほどみんなにお馴染みの製品ではないのでしょう。記念資料館の特集コーナーしっかり見れば分かるのでしょうが、説明のお姉さんに案内されるままな団体ツアーで自由見学はできなかった。
展示してある古い器具類も使用用途が分からないものがほとんど。
最後にコピーを配布してくれたのが、二代目島津源蔵氏の記した「処世の要道」。「事業の邪魔になる人」「家庭を滅ぼす人」各十五か条計三十のお言葉が、なかなか厳しくて耳が痛い。いちいちゴモットモですが、功成すお人っていうのはこんなにも立派に生きるのだなあ。

時代祭2019/10/27 12:58

京都御所の休憩所、出汁入り卵オムハヤシはハヤシソースがあんまり濃くなくってお出汁の香りがふんわり。甘党向きのお昼ごはんだ。

島津製作所の次に向かった京都御所では、ちょうど時代祭の準備中。パンフレット買えば、どれが誰の仮装なのかちゃんと分かるのだろうな。
行列全部見学する時間はなかったけど、そこら辺の草をモシャモシャ食べるお馬さんをなでさせてもらう。私は写真撮らないけど、出番待ちの静御前とか騎馬武者とか間近で撮影させてもらえるのでそういうの好きな人には行列よりも御所での準備段階の方がオイシイだろうなあ。
牛車も近くで見た。黒い牛に、赤い衣装の牛飼い童、後方にいる牛はおそらく予備のためだろう。車輪が大きい、人の背丈ほどもある。しかし動き出すとギッシギッシいう、車軸の構造どうなっているのか。昼間はともかくこれで夜の都大路をお忍びで行くのは無理があるよ。