「光って見えるもの、あれは」2010/12/15 10:23

 なんてうつろいやすいものなんだろう。思いっていうものは。

 川上弘美作品には珍しく、高校生の男の子による一人称で語られていて、各章では国内外の詩歌が引用されているのですが、残念ながらあんまり、その引用の意味がわたしには理解できなかったりします。
 もともと詩のように感じられる(理性より感性に訴えてくる)小説を書く作家ですし、句集なんかも出しているのでそれも読んでみたいものですが。
 主人公・翠の世界は主に二つ、家族(祖母と母、生物学上の父親である大鳥さんなど)と学校(子どもの頃からの友人や、付き合っている彼女)で、まあ普通っちゃ普通です。
 実際翠は、母親から「今日はどうだった?」と聞かれていつも「普通だった」と答えるのですが。それって何か、つまんないですよね。
 友人の花田は、自分が「シミシミと」世界に溶け込んでしまう感じが嫌で、女物の服を着て登校するようになる。
 彼女である水絵は、何度も翠に「自分のことが好きか」と確認して、親に見られないように自分の日記や手紙をいつも大きな鞄に入れて持ち歩く。
 若い人たちは「普通」に溶け込むことに抵抗するものなんでしょうか。「普通」っていうのは一つ間違えると「惰性」に繋がってしまって、何かちょっと極端な行動にはしらないとアイデンティティが確立できないのかもしれません。
 あいまいで移ろいやすい世界で、翠が確かな「実感」を求めるようになるまでの物語、でいいのかな?