「クライマーズ・ハイ」2011/03/21 14:44

 登山ゲームとかって、無いですかね?「ふぁいとお、いっぱあつ」的にひたすら岸壁を登り続ける。年取って体力の落ちた「元・山屋」さんが安全に山登り気分になれる。
 バックミュージックは不要、風の音や鳥の声や岩や小石が転げ落ちて行く音のみ。360度ヴューで、ここと思うところに手足をかけてザイルを打ち込み、特定のテラスまでたどり着くといい感じの景色が拝める。3D映像のしがいがあると思います。
 もちろん、事故って死亡したらゲームオーバー。
 ただし、天候や体調の不変を察して途中で下山するのは、あり。

 読むタイミングが、不味かった。
 先月「沈まぬ太陽」をTVで観たので、おなじ航空機事故を報道側から見ましょうかと、図書館から借りてきたのですが。
 未曾有の大事故に、湧き上がる地元の地方新聞社。
 その触りを読んでいるところへ、未曾有の大地震です。
 何百人もの人が亡くなった大惨事、大きなネタを得て小説の中の記者さんたちは熱くなるのですが、現実のライブ映像で伝えられる津波映像を見てしまうと、なんだか読んでいて盛り上がらない。
 なんて思っていたら、物語の終盤にきて、こんな台詞が。
「人の命って、大きい命と小さい命があるんですね」
 ……前に映画版を観た時には、こんなん無かったなあ。
 物事をランク付けしてしまう、ジャーナリズムの影の部分をつきつけられた。
 映画版を観ただけではよく分からなかった状況説明や人物描写が、原作を読んでよくわかりました。本書には登場人物も多く、盛り込まれている要素も多岐にわたっています。主人公の家庭の問題やら新聞社内での人間関係や派閥争い、人によっての事件に対するスタンスの違い、脳卒中で倒れた「元・山屋」の男。
 様々な種類のエネルギーがぶつかり合い、新聞の製作はどこか「勝つか負けるか」な問題になっていくように、私には思えました。しかし、
「俺は『新聞』を作りたいんだ。『新聞紙』を作るのはもう真っ平だ」
 異様なハイテンションの中で、時折思い出されてくること。
何のために、新聞を作るのか。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://mimikaki.asablo.jp/blog/2011/03/21/5752777/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。