「共喰い」2012/02/28 01:08

 作品内容よりも作者のパーソナリティーが受けて?大いに売れているそうです。
 で、昨日図書館に行ったときに、ちょいと読んでみました。
 ……食事前に読むべきでは、なかったかなあ。
 芥川賞選考委員を唸らせた、濃密な文章は、さすがなもの、なんですが。
 密度が濃すぎて、気持ち悪い。というか、ねっちりとしたコダワリのある描写が連なっている割に、なんか現実味が感じられなくて、前日まで読んでいた内田百閒の幻想小説の延長のような、グロテスクな不思議の国のような。
 舞台は昭和の末の「川辺」の町。川は下水が流れ込んでいて悪臭がして、「女の割れ目」に例えられている。
 そこから離れられない父と子。主人公の少年は17歳の、狂おしいほどヤリたい盛りなお年頃なんですが、最中に女に暴力を振るうとコトにとてつもない快感を覚えるという父親の性癖を受け継いでしまって、不本意極まりない、情けないけど止められない。彼女ともうまくいかなくなってしまいます(まあ当然ですが)。
 男性なら、そういう悩ましい感覚にシンパシーを持てるのかもしれませんが、どうにも、私から見たら「嫌ならやらんかったらええやん!」と身もフタもない感想になってしまうんですよねえ。先に述べたような現実味の感じられない描写っていうのも、そういう自己が完成されていない未熟でグラグラしたガキの目線で語られているからなんでしょうかね。
 それに比べて、職業不明な(この辺も、このお話が寓話っぽく感じられる要因)親父さんの方は、もう自分が変態であることを開き直って受け入れていて、さらなる非道へと突き進んでしまいます。
 作品タイトルの由来は、この親父さんが、汚水の流れる川で採ったウナギを超ご満悦で食べている(でも全然美味しそうには描写されてなく、逆に気持ち悪い)ところからきているのだと思われます。
 こうした男たちには共感しづらいのですが、女たちは「母は強し」ってとこを見せてくれます。
 少年のお母ちゃんは戦争のときに右手を失くしてしまっていて、苦労して、強く生きた人。だからこそ、女を殴るひどいヤツなのに、自分を女として妻にしてくれて、失くした右手を補う義手を与えてくれた男を、憎みながらも情を捨てきれなかったのだと思います。
 しかし、自分ではなく、自分の息子が酷いことになってしまっているとなると!
 男性作家でありながらこういう母親を描けるって、おそらくは、作者のお母上が大変肝の座ったお人なんでしょうねえ。

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