「ハンナ・アーレント」2013/11/28 00:23

ただ、命令に従っただけ。

 残念だったのは、ちょっと、有名になりすぎたことでしょうか。
 元々、「イェルサレムのアイヒマン」っていったら初歩の心理学講義でも聴いたことがあるくらい名高い人間論ですし。
 おまけに、本作は東京の映画館で大入りになったってことで話題になり、あちこちで映画評が氾濫して。
 前情報が多すぎて、見所とかあらかじめ告知されてしまうとちょっと興が削がれるっていうか新鮮な驚きを欠いてしまいます。
 それでも、この映画が今日の我が国でウケたのは、よく分かります。
 多くのユダヤ人を死地に追いやった極悪人として裁かれたアイヒマン。実際のイェルサレムでの裁判映像が使われていて、要するにアイヒマンさんは「ご本人が出演!」という映画です。歴史の実録、本物の威力は凄いです。
 非道な行いをした彼は、悪魔のような人物であった。と、誰もがそう思っていたのですが、裁判を見学したユダヤ人哲学者・ハンナは、違和感を覚えます。
 アイヒマンは、ただ法と命令に従っただけの、小役人。世紀の大悪は、ただの凡庸な人間たちが、自らの思考を停止してしまったがために生まれてしまった。
 そんな悲しい人間の性質の対極として、ハンナは描かれています。「アイヒマンの非人間性」「ユダヤ人は例外なく被害者」といった固定観念にとらわれることなく、冷静に事実を見つめて思考する人。
 そんな彼女ですから、刃のように切れ者で冷徹なコンピューターのような人物をイメージしていたのですが、そうではありませんでした。夫とラブラブで、友達に囲まれて笑って、収容所の記憶に瞳を曇らせることも。
 思考しないって、どういうことでしょうか。
 幼児を何日も放置しておいて「死んでしまう」とは考えない母親がいました。
 どう考えても違う食材を使っていながら「偽装とは思わなかった」とか。
 案外、思考の停止ってどこにでも転がっているような気がします。それが極まってくると、「モラルの判断不能」から「人間の停止」にまで転がり落ちてしまう。
 しかしその一方で、周囲からバッシングを受けても自らの思考を放棄しなかったヒロインに、もう一つの人間の姿、人間の希望を見出せる。そういう映画だと思いました。