「真鶴」2010/08/24 17:45

 傑作です。
 これまでの川上弘美文学の集大成っていうか。ヒロインに不可思議な存在がついてくるのは芥川賞を取った「蛇を踏む」(今、めっちゃ読み返したい)をはじめとした幾つもの作品に用いられてきた手法で、失踪した夫の位牌を拝みに夫の故郷へ行くあたりは、「センセイの鞄」でセンセイが亡くなった奥さんの墓参りにいく件を思わせます。

 話の筋自体はシンプルなもので、ヒロインの京は、十数年前に夫に失踪されて、母と娘と、三世代の女三人暮らしで、時に、妻子を持つ恋人と会っている。そんな彼女が、「ついて来るもの」と対話していくうちに色々思い切ることが出来る、ということなのですが。
 現実(住まいである東京)と夢幻(旅先の海辺の町、真鶴)の世界とを行ったり来たり、交差したり、という構成には重大な意味があり、要するに日常生活の雑事の中で紛らわせてしまっていた繊細なものが、旅先という異界で少しずつ向き合っていくということです。
 最近再読した「スプートニクの恋人」でも、自分の大切な一部を異界に隔離してしまった人物が出てきますが、京も、「真鶴」にアルモノを置いてきます。しかし「スプートニク」と決定的に違うのが、たっぷりの切なさ。そして置いてきた後の、希望。 
 遠い、近い、にじむ、交わる。夫や恋人や娘との距離の感じ方、その愛情の繊細さが、川上弘美独特の、ひらがなを多用した柔らかい言葉で紡がれます。ひとつの単語に幾重にも意味を見出せそうで、これはちょっと、一読しただけではキチンと理解できそうにありません。
 回想と夢幻と現実と。切れ切れで抽象的な表現を多用していますが、でも、何か、伝わるのです。それが誤魔化しのない、一人の女の赤裸々な心情の在り様なのだと。
 激しく燃えあがるような熱い心情ではなくて、水のように切々とした悲しみ。
 本当に切なくって、じんわりときます。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://mimikaki.asablo.jp/blog/2010/08/24/5306117/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。